日本の大企業が抱える大企業病9選
日本の大企業の体質は、バブル崩壊以前と変わっていない
バブル崩壊以降、日本の大企業は世界で競争力を失っている。その影響は日本全体、特に大企業を支える中小企業に及んでおり、日本人の給料はバブル崩壊以降上がっていない。その結果、日本の全世帯の所得の中央値は、1994年の505万円に対し、2019年は374万円と、この25年で130万円減少している(内閣府調べ)。
これは、日本の大企業は、バブル崩壊以前と大きく変化できず、イノベーションを起すことができない体質が続いていることが原因の1つである。
日本の大企業が抱える大企業病はさまざまで、以下に9つの事例を示す。
1.意思決定が遅く、判断の質も低い
2.組織の硬直化
3.職域へ執着、チャレンジしない
4.ルール依存、忖度体質
5.上層部が現場に無知、仕事せず丸投げ
6.価値を生まない社内向け業務が多い
7.組織複雑化(多部門、多階層)で非効率
8.プロセス軽視の結果主義
9.プロジェクト主義、成果物主義
日本の大企業の経営・組織体制には問題山積み
中小企業は、経営体制や組織体制が十分に確立していないケースが多い。
例えば、ビジョンが不明確、戦略・戦術未構築、などが挙げられる。この要因は、一定の既存顧客を持ち、既存顧客向けに単に業務ルーチンを繰り返すだけの運営になっていることである。
それにより、経営者が自社の既存業務の範囲内という狭い視野しか見えなくなり、その結果、市場環境の変化に対応できなくなるのである。
ただし、中小企業でも、売上規模が拡大して社員数が増えてくると、経営者は日本の大企業の経営体制、組織体制を目指し、模倣しようと試みる。
しかし実際の日本の大企業では、経営や事業運営面でさまざまな問題が発生しており、実際には中小企業が目指すべき体制とは言い難いのが現状である。
日本の大企業の組織体制の多くは「事業別組織」「機能別組織」であり、事業単位で組織が分割され、各事業で営業・製造・人事・経理などの機能別に編成された組織体となっている。
経営に関する書籍などで機能別組織のメリット・デメリットが示されているが、実は現場では、一般の書籍では紹介されていないさまざまな問題が発生している。
つまり、市場環境の変化が激しい昨今では、中小企業は、ルールやしくみでガチガチに縛った管理体制に重きを置く、現在の日本の大企業の経営・組織体制を目指してはいけないのである。
そこで、このような大企業でよく発生する、上記で示した一般的に「大企業病(大企業あるある)」と言われる現象9選を具体的に紹介する。
これらの大企業で問題になっている経営や組織に関する内容を理解することで、表面的には合理的・機能的に運営されているように見えても、実は非合理で無駄の多い、そして市場環境の変化に迅速に対応できない状況に陥るさまざまな要因を見出すことができる。
大企業病(大企業あるある)①:意思決定が遅く、判断の質も低い
ネット社会に突入し、さまざまな情報を簡単に入手できるようになると、中小企業や個人でも簡単に市場に参入できるようになった。
顧客のニーズは多様化し、自分に合った商品を選択できるようになったため、中小企業にとっては大きなチャンスである。一方でグローバルな競争が激化し、世界規模でより良い製品の開発競争となっている。
このような市場環境の中で勝ち抜いていくには、市場環境の変化に即座に反応し、迅速に対策を打つことが求められる。
これらをスピーディに実施しているのが、欧米企業や日本の新興企業である。
具体的には、欧米企業や新興企業の経営者は、常に市場環境に関する情報をキャッチしており、迅速かつ正確に現状を把握し、かつ速やかに意思決定を行っている。つまり、経営者は常に現場の状況に目を配り、現場と常に直接つながっているのである。
一方で日本の大企業は、多くの事業を抱えているため、経営陣が各事業の市場環境を詳細に把握できていない。例えば新たな事業を行う場合、経営陣の現状把握の方法は、現場から上がってくるパワーポイントの提案書がすべてである。
さらにその提案書は、担当者か主任クラスがパワーポイントで作成し、経営陣に到達するまでに、中間管理職である課長、部長、事業部長などのチェックが入り、「この情報は知れるとまずい」「この内容は書かない方がいいのではないか」といった、中身以外の細かい指摘が入って修正される。
そのため経営陣が把握している情報というのは、ありのままではなく、社長向けに見栄えのいいように作り変えられた偏った情報になる。つまり、意思決定を行う経営層は、現状把握のスピードが遅く、内容も限定的なため、経営判断の質も下がってしまうのである。
このように日本の大企業は、市場環境が目まぐるしく変化し、競争が世界規模で激化する世の中に対応できる体制ではない。
大企業病(大企業あるある)②:組織の硬直化
日本の大企業でよく言われることが「組織の硬直化」である。大企業は組織体制が確立しているため、決まったルーチンやルールの範囲内で、日常的な業務を効率的・効果的に行うことは得意である。
しかしその反面、そのしくみの範囲外の日常のルーチン業務以外の仕事、例えば新たな価値を提供したり、環境の変化に対応したりする場合では、組織としてのパフォーマンスが十分に発揮できない。これが「組織の硬直化」であり、「組織の形骸化」「組織の機能不全」も同様の意味で使われる。
組織が硬直化する要因はさまざまである。
1つは、組織が縦割りであるため、社員は自分の部門の利益を優先するようになることである。そしてこれが原因で組織間の対立が生まれる。
例えば、必要な売上確保のため原価を下げたい本社側と、品質と安全性を維持したい工場側の対立がある。本来であれば、顧客満足度向上と当社の適性利益のバランスを取りながら柔軟に対応することが望ましいのであるが、各部門が個々の部門の立場に固執した姿勢を貫いてしまい、感情的な議論に陥ってしまう。
また、大企業は規模が大きく、部門や役職、社員の数が多いため、おのずとルールや規則といった決まり事が多くなる。
社会からの注目度も高いため、コンプライアンスへの取組みも進んでいる。そのため、ルール順守のための手続きやチェック、各種報告など、本質的業務以外の副次的な業務に労力がかかってしまう。
また、トラブルの発生や、顧客からクレームが入ると、責任を問われる経営者や管理者の管理が厳しくなり、二重チェックや詳細な報告などが求められる。その結果、顧客ニーズや市場環境への対応により市場で勝ち抜いていくという大きな目標の優先度が下がり、ルール通りや正しい手続きに則っていれば良し、という価値観に陥ってしまうのである。
この状況を回避するには、次項にも明記するが、チャレンジする社風、チャレンジする人間を優遇して失敗をマイナス評価しない人事査定、などがある。
大企業病(大企業あるある)③:職域へ執着、チャレンジしない
しくみが構築されている日本の大企業の組織体制では、各部門の役割が明確に決まっており、役職や担当者ベースでも役割が分担されていて、役割が細分化されている。
また、評価制度も確立しているため、決められた自身の役割の範囲内で業務をこなしていれば、一定の評価を得られる構造になっている。特に大企業の人事制度は、直属の上司が部下を評価するしくみになっている。
そして各部門の管理者は評価の専門家ではないため、実際の評価はハロー効果が頻発し、業務に忠実で、失敗しない、そして上司に忠実な部下ほど高い評価を得るケースが多いのが現状である。そのため社員は、チャレンジして失敗することでマイナス評価になることを恐れてしまう。
要するに大企業の社員は、個々の与えられた範囲内でしっかりと業務を行っていれば一定の評価を得ることができる訳で、業務範囲外やリスクの高いことを無理に実施する必要がないのである。
こうして社員は自身の「職域」に執着するようになり、自身の業務範囲外の仕事には関心を示さなくなる。そして突発的な業務が発生しても、自身の職域外であれば積極的に対応をしなくなり、そういう取組み姿勢が組織内のセクショナリズムを生むのである。
つまり、日本の大企業が構築した「しくみ」が、保守的な人材を生んでいる訳である。そしてこのような硬直した組織の中で、大企業の経営者や管理者は、社員にチャレンジするよう求めている。
しかしそれは、個々の社員の「姿勢」や「意識」に依存しているにすぎない。そしてそれらの取組みは直接評価につながらないため、誰も職域外のことをしようとはしない。
チャレンジをする人材を育成するには、そういう試みを評価するしくみを作ること、また経営理念などでチャレンジする人材を重視することを示し、社風を変えていくことが重要である。
大企業病(大企業あるある)④:ルール依存、忖度体質
日本の大企業の事業は、日常の業務から、展示会出展などの非日常業務に至るまで、規則やルールに基づいて運営される。理由は、規模が大きく社員数が多いため、効率的に管理・統制する必要があるからである。
また、個々に権限を与えすぎると管理が十分に行き届かなくなる恐れがあることも要因の1つと言えるだろう。大企業は社会的責任が重く、1人でも社員が問題を起こすとマスコミに取りあげられて大問題に発展し、会社全体のイメージが悪化してしまう。
そのため、規則やルールと管理によって全社をコントロールすることが求められるのである。
ただし、組織の規則やルールが多くなると、社員はそのルールに沿って仕事を行うことを重視するようになる。ルール同様、上司の指示に対しても忠実に対応するようになり、ルールや指示に合わせて業務を行うことを最優先に考えるようになる。その結果、現状の問題解決や、創造力を働かせた新たな提案をしなくなってしまう。
また、肩書による上下関係が明確な縦社会であるという特徴もある。
例えば、経営陣の決定事項が、現場から見て明らかに間違ったものであっても、指摘することも反対することもなく、素直に受け入れられてしまう。つまり経営者などの経営陣の決定事項は絶対であり、彼らにとっては法律同然なのである。
そうなると、社員は顧客よりも常に経営者や上司の機嫌を伺うようになり、社員は上司に忖度し、Yesマン化する。
そして人事権を持った上司は、自身に忖度する人材を高く評価するようになり、自身の昇格の際は、忠実だった部下を後釜に昇格させるため、会社全体が忖度体質に陥るのである。
これが「保守的組織」に陥るメカニズムである。上層部は上司に忖度して出世してきたため、「どこからお金が入ってきているのか」という意識を完全に失い、顧客が見えなくなってしまうのである。
大企業病(大企業あるある)⑤:上層部が現場に無知、仕事せず丸投げ
管理者は、部下に仕事をさせて管理することが役割である。
中小企業の管理者は、自身も現場で業務を行うプレイングマネージャーである場合が多いが、大企業の管理職は「管理」の仕事に集中するために、現場の仕事から離れることが多くなる。
管理職の仕事は、現場の情報整理と上層部への報告、上層部からの指示などの部門内への伝達・徹底の他、日々の社員の管理や指導であるが、実際には、情報を下から上へ、上から下へ伝える「メッセンジャー」に過ぎないケースが多い。
しかし、今やパソコンやスマホでも1対1や1対多で直接情報交換できるため、メッセンジャーとしての管理職の必要性はほとんどなくなってしまった。
さらに、現場の仕事の緊張感から開放された管理者は、メッセンジャーといった簡単な業務だけを行うようになるため、仕事をしなくなってしまう。管理者自身も上司から仕事を丸投げされるため、現場よりも上司からの仕事を優先するようになるのである。
また管理者は、自ら調べたりすることもしなくなり、現場の情報は部下から報告される内容だけになる。さらに、管理者自身は行動しなくなるので、管理者自ら答えを出すこともなくなり、思考力も衰えていく。
こうして管理職は現場の情報に乏しくなり、現場の知識も失っていくのである。そして仕事も部下へ丸投げして仕事をしなくなり、思考もしなくなるため、権力は上がってもレベルはどんどん下がっていくのである。
なお、「丸投げ」と似た言葉に「権限移譲」があるが、実際の組織では丸投げが横行している。これらの主な違いであるが、「権限移譲」の場合、委譲した業務や人の管理・統制、内容のチェック、軌道修正などを行い、管理者が責任を取る。
一方で「丸投げ」は、これらをまったく行わず、何か起きた時も責任回避の態度を取る。このように、これらはまったく異なるものあるが、実際の現場では「権限委譲」という名で「丸投げ」が横行している訳である。
大企業病(大企業あるある)⑥:価値を生まない社内向け業務が多い
大企業は前述のとおり、ルール依存体質、忖度体質、上層部は仕事をしないという特徴がある。その結果、さまざまな価値を生まない社内向けの無駄な業務が発生する。
例えば、上司が会議に出る際に、その場での質問に対して「わからないので後で調べて報告します」と言えないために、使用するかどうかわからない大量の想定問答集を部下に用意させる場合がある。
また、社内会議で経営幹部など上層部が出席する場合、必要以上の準備や接待で時間をかけることもある。これらはまったく価値を生まない、必要のない仕事であり、これら無駄な業務で多くの人材と膨大な時間を要している。
会議も同様に多くの無駄が起きている。例えば、定例会などで決まった日程で定期的に開催される会議では、会議の目的が曖昧で、開催する価値がないものも多く存在する。また、会議をしても結論を出さず、単なる話し合いで終わってしまうケースも多い。
政治の世界で「議論を尽くす」と言われるが、欧米諸国と異なり日本では、質の高い結論を迅速に導き出すのではなく、「議論」をするところに価値を見出す傾向がある。
会議の質とスピードを上げるためには、会議の目的を明確にし、会議の中で答えを出すこと前提で進めることである。そのためには、現状を把握して問題点が何かを明確にし、その原因を究明した上で、解決のゴールを描き、そのゴールに到達するための手法を吟味する必要がある。
例えば、現場で議論する内容の状況は事前に調査して資料として用意する必要がある。そして会議では、それらの資料でまずは全員が現状を正確かつ詳細に理解し、その上で、問題点やその原因の究明と解決の「方向性」と「具体策」を吟味する。
つまり、ここに議論と思考を集中させるの訳である。こうすることで、スピーディかつ高品質な議論と結論を導くことができるのである。
大企業病(大企業あるある)⑦:組織複雑化(多部門、多階層)で非効率
日本の大企業の組織体制は、部門数が多く、階層も多いため、非常に複雑になっている。複雑化する理由としては、大企業は機能別組織が徹底されており、部門と仕事内容が明確に分かれているからである。
中小企業の場合、総務部が会計や人事、企画、広報なども担当することはよくあるが、大企業ではそれらが明確に分割されており、各社員は自分の所属する部門以外の仕事は任されない。つまり部門と役割がきっちりと決められている訳である。
また、管理職以上の人が増えてくると、その人材の居場所を確保するために新たな部門を作ることも行われる。
例えば、部長級の人材が増えると、「部長」という肩書は部門に1つであるため、「担当部長」「専任部長」「主幹」など、様々な肩書を使って、彼らのための居場所を作るのである。
こうして、大した仕事をしないが肩書だけある人材が組織の中で増えていくという水ぶくれ状態になるのである。「組織は戦略に従う」と言うが、「戦略」ではなく「社員(管理職以上)の都合」によって、新たな組織が生まれているのである。
その他、多部門や多階層によって組織が複雑になると、業務の生産性は低下する。
例えば、現場からボトムアップで提案を行う際に、承認者が増え、決定までに必要以上に時間と労力がかかる。現場と社長が直結していればこのような時間と労力は不要である。
「膨大なものから取捨選択して絞り出す」というのであればわかるが、それほど数のないものでも、階層に沿って、段階を踏んで伝達されるのである。
さらに、一度決定された事項を簡単に変更できない弊害も出てくる。決裁のために「現場⇒課長⇒部長⇒事業部長」というプロセスが必要であると同様に、決定事項を変更するのにもこのプロセスが必要になるからだ。
一度決定した事項が現場に適合しないことが判明し、すぐに改善が必要な場合でも、なかなか修正されないことが多くあるが、それはこの複雑な組織体系が要因なのである。
「組織は階層を飛び越えてはいけない」が組織体制のセオリーだが、これは組織の秩序が乱れ、飛ばされた中間管理職が不満を抱くからである。
しかしこのセオリーによって、経営活動に重要なスピードと品質が失われている実態があるのである。もっともこのセオリーは、組織内の都合であって、顧客や市場の都合に合わせたものではないため、セオリー自体が誤っていると考えられる。
大企業病(大企業あるある)⑧:プロセス軽視の結果主義
「成果主義」という言葉があるが、これは業務の成果によって評価して報酬や人事を決定することである。
かつて日本の企業は「年功序列型」だったが、チャレンジ精神やモチベーションの低下を招くとして色々問題が出て、少しずつ成果主義が取り入れられている。
そして「結果主義」とは、成果主義とは少し異なり、「中身(プロセス)」を診ずに「結果」だけで評価することであるため、物事の本質を吟味する意識が欠如する可能性が高くなる。
プロセスを軽視することにより、「個人のノウハウを組織全体で蓄積して共有し、組織全体として品質とスピードを上げていくことで、組織全体の成熟度を上げていく」という組織的かつ中長期的な取り組みができにくくなるからだ。
例えば、営業マンの場合、引き継いだ顧客が大口であれば、その人の力量や負担に関係なく営業成績は上がる。また、新規問合せの電話が入り、その問合せが大口注文であった場合、たまたま事務所にいて取り次いだ営業マンは、大きな努力もなく営業成績を上げることができる。
このような状況で数字だけでその営業マンが評価されると、外出せずに事務所で電話を待っていた方が効率的だと考えるようになるであろう。
また、組織で営業活動を行っている場合、受注には様々な部門がからむため、数字を挙げた営業マンだけが恩恵を受けるのは不公平感がでる。
売上高など数字だけで評価する結果主義では、なぜその数字を獲得できたのかを振り返ることや、どうすれば効率的・効果的に営業活動を行うことができるかの答えを見出すことができない。
その結果、組織全体として売上高を向上させられる手法を合理的に構築することができなくなるのである。プロセスを吟味し、暗黙知のノウハウを形式知化して社内で共有することが、企業価値の向上には必要不可欠なのである。
大企業病(大企業あるある)⑨:プロジェクト主義、成果物主義
大企業では、トップが各部門の業務変革を行う場合、プロジェクト形式で実施するケースが多くある。
「プロジェクト」とは、定められた期間内で目標を達成させて完結するものであり、通常業務とは別に、そのプロジェクトを遂行するために各部門から招集された「プロジェクトチーム」によって実施される。
このプロジェクト形式は、組織体制や業務内容の現状を変えずに現場主導で行われるもので、ボトムアップによる業務改善の手法の1つである。
そして経営側としては、ヒト・モノ・カネの経営資源を新たに投入することなく、現場の知恵と工夫とがんばりによって実施できるため、手軽に取り組める手法と言える。
しかし大きな問題がある。それは、まずは通常業務とは別に行われるため社員の負担が大きくなるが、評価の直接的な対象にもなりにくいため、社員にとっては「余分な仕事」になり、プロジェクトに本腰で取り組むことが難しくなることである。
また、プロジェクトと通常業務が連携していないため、いくらプロジェクトで良い手法を見出しても、通常業務に反映されるとは限らないのである。そのため、プロジェクトの成果物は、辻褄合わせで作成される恐れが出てくる。
例えば、たまたま大口顧客の受注が何社か決まって業績が向上した時に、それがプロジェクトによる施策の効果であるようなストーリーで成果物のパワーポイントを作成すると、現場を知らない上層部は、その資料が現場を判断する唯一かつすべての内容になるため、成果物のとおりプロジェクトによって大きな成果が出たと認識してしまうのである。
つまり「良い成果物は出るが企業の実態は変わらない」という状況に陥り、プロジェクトは何も価値を生んでいないのである。
このように、プロジェクト主義によって、中身やプロセスといった本質的業務ではなく、見た目重視の成果物主義が増長されていくのである。